六十八部「収縮と発散」
中学と高校を三重県の田舎で育ったわたしにとって、最も身近な都市は名古屋だった。兄が暮らしていたのもあり、高校卒業後、愛知に住む選択することに不思議と迷いは無かったけれど、進路を決めたのは担任の先生だった。わたしの家庭の状況になんとなく気が付いていた先生は、大手の自動車工場の定員が既に埋まっているのにねじ込んでくれた。わたしはわたしで夢を語れるほどの現状になかった。無事合格して、全国各地から集められた若者たちは建ったばかりの大きな寮で共同生活を始めた。家賃2万円の部屋のキッチンは小さなIHと小さな流し台だけ。浴室やトイレは共同、大きなキッチンがフロアに1つ設置してある。1Fに食堂があり、社員証のタッチで給料天引きで食べられるので、高校卒業したばかりの自炊経験の少ない若者はみんな食堂に集まった。修学旅行の夕飯のような空気が苦手だった。わたしは共同キッチンで小麦粉からつくったコーンスープの焦げた臭いをフロアに充満させたのを鮮明に覚えている。ある日、仕事から帰ってくると、食堂前に長机にテレビやレンジなどの家電を並べて「給料払い・ボーナス払いで購入できますよ」と唱う謎の家電屋が立っていた。一切、家具や家電を持っていなかったわたしは、まんまと初めてのテレビを買った。同期たちがボーリングに居酒屋にパチンコに合コンに明け暮れる中、すぐ車を手に入れてあちこち走った。愛知の広さを痛感した。勤務1年目に自民党総裁選があり、第一期の安倍晋三氏が総裁になった。勤務2年目には愛知知事選があり、印象的なことが起こる。自動車工場の休憩室のあちこちにポスターが掲示され、この人に投票をせよという主旨と投票済証明書を上司に渡すことが課せられた。勤務3年目にリーマンショックの煽りを受け、更に同級生の事故死でわたしは狼狽え「ほんとうにやりたいこと」を突きつけられたような気がした。これまでも何もない家の中でずっと衣服について考えてきて、やっと向き合えたのだ。それから服屋の販売員をしながら、服飾の学校に通い始めた。自分の為につくったり繕ったりの領域から、未開の地に一歩踏み出した場所が愛知だった。
それから14年が経ち、再び愛知に行く。
今も当時の友人も暮らしているが、衣服をつくるわたしになってからは初めての場所。そして、ゼロから始めたかった。2024年、展示したい場所を巡る旅をした。最後の最後で伺った場所がTOUTEN BOOKSTOREだった。わたしにとって好みで、良い本が沢山並び、哲学対話のブースに書かれた一言一言を読みながら、愛知という場所で何かと戦っているような店主なんだろうと分かった。本をいくつか手にしてカウンターに向かうと、パソコンに向かっていた身体をこちらに目を合わせてくれた方が店主の古賀詩穂子さんだった。その場でお話をさせて頂き、展示できることになった。そんな矢先、通りがかりのご近所?の方が来店されて、わたしが着ている服をみて「これ、着物ね」と声をかけてくれた。その方は日本の絹織物を残したいという想いが強く、研究者のような知識があって色々と教えてもらった。別れ際「展示を楽しみにしている」と声を掛けてくれた。衣服をつくるわたしになってからは初めての場所で、1人の来場してくれる方と出会った。そんな出会いをくれた場所とも出会えた。
古賀さんが教えてくれた「愛知は、自動車産業で各地から人が集まって人口が多いのに文化的な場所が少ない。本屋も大型書店ばかりで、うちのような個人店がこの規模の都市の割に少ないんです。ビジネス本が中心に売れるようでは駄目で、うちでは取り扱いをしないようにしています。」という話が頭から離れない。わたし自身、産業に吸い込まれた一人だった。テレビや車を手に入れても一時的な幸福感しか得られず、消費社会を体験して、九州の祖母がいた実家に帰ることを選んだ。今回は、TOUTEN BOOKSTOREの古賀さんが目指す文化に可能な限り寄与しながら愛知を味わいながら過ごしたい。そんな気持ち。
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