六十七部「猿山」
今わたしは、著者尹雄大氏の「さよなら男社会」を読んでいる。ずっと払ってもなくならないもやもやが言葉に置き換わり、静かに驚き続けている。身近な体験から起こる男性優位な社会の現象を明らかにしてくれた。わたしは、簡単にいえばホモソーシャルから距離を常に取ろうとしてきたのだと分かった。何かしらの権威を持った人、権威を吸い寄せられて同化した人たち、その群衆がずっとこわい。それなのにわたしは、中学から高校までの6年間、部活動でラグビーという男性集団の中にいた。その頃の苦い記憶が思い出された。高校一年生の冬、身長も体重も大きな一つ上の先輩達に担がれて、サイドラインから投げられたボールをキャッチする仕事、ジャンパーという役割を任せられた。キャッチする練習では、先輩がわたしの半ズボンを強く握り、二人掛かりでわたしの身体を持ち上げる。わたしは空に向けて手を掲げて、タイミングよく手の位置にボールを投げ込まれ、わたしが掴む。その一連を繰り返し練習する中、疲れた先輩のひとりが悪ふざけもあったと思うが、上に持ち上げたわたしを下に降ろさず、遠く投げた。その時、足首を挫いてしまって、トレーニング不足を指摘された記憶が今も残っている。不当な扱いにひどく腹が立った。でも、明らかにわたしよりも強い存在に当時は言葉にすることができなかった。だからこそ記憶に残っているのかもしれない。そして、その先輩も先輩から不当な扱いを受けてきたことが今なら分かる。もうひとつの記憶は、その高校に居るヤンキーたちはラグビー部に一目置き手出しをしなかった。ひょろっとしたわたしでさえラグビー部のエナメルバッグが通行手形のような機能を果たしていたのだ。ホモソーシャルに所属意識がなくても、わたしは守られている存在でもあった。わたしの認識に性差がなくても、社会に猿山は存在する。男性的な記号が少ないわたしでも自然と男性に参加してしまうから、力に参加せず力を持たずあらゆる力をうやむやにしていきながら、常に心地良いジンテーゼを考えて行動していこうと思う。
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