エッセイ[other clothes(あれ以外の衣服)]vol.8

2) The social nature of clothes
sanaka/佐藤好縈 2025.08.25
誰でも

これは、熊本に滞在した三日間の中で感じた「衣服」のこと。来月、9月20日から28日まで(水曜休)熊本市に在る島田美術館にて展示を行うのですが、これまで天草での経験はあるものの熊本市内に知り合いは殆どおらず、来る人たちの顔や人柄があたまに浮かびませんでした。ビラ配りを決意して宿を決める速度は早かった。作家自身がビラを配るのは「じぶんたちのつくっている服をみにきてください」といっているようなもので、非常に恥ずかしいものがあります。更にsanakaの服を着て出向くのだから、尚のこと。反して衣服や空間に一切の照れはなく、観に来ないなんてもったいないとさえ同時に思えてしまいます。そもそもモノを渡す仕事としている人の役割であり「わたしはモノをつくれないから」と語り作家に敬意をもって空間を営む人たちは尊い。随分前にsanakaを為事(しごと)と決めて、このような苦行は引き受けたつもりだったけれど性格的につらいものはつらい。たぶん、媚びているような気分がしてじぶんがうんざりするなのだと思います。

わたしはわたしの媚びを感じたとき、九鬼周造の「いきの構造」を思い出すようにしています。彼は古くから在る日本の美意識「いき」を哲学的に解釈した哲学者。「いき」とは、媚態(媚び)と意気地(自尊心)と諦観(諦めて引き受ける)が相互作用によって偶然性と身体性が相まって「いき」と云う現象が立ち上がってるとわたしは理解しています。再度、初心に戻って気合いの入れ直し、新人の気持ちです。ビラ配りとさえ思わなければ割と愉しくて、街の空気感や人柄を感じる佇まいのお店を巡って風土を感じることを目的に据えて、熊本の街を歩きました。

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熊本の街、下通りの安宿に泊まって、三日間で20カ所位の場所を巡りました。島田美術館の方からご紹介して頂いた場所に加え、興味のある場所や出逢った方から教えてもらった場所を転々として、殆ど個人店か家族経営のような場所でお話させてもらいました。

初日、満月ビルの2階「tsukimi」というライブハウスで演奏を観ました。同じようにビラ配りをしていたアングラな音楽ライブを企画する方が「以前まではコアな企画を打っても5人から10人集まれば良い方でしたけど、今観る方も増えてきてますよ」と聞き、アングラ事情に触れました。2日目の夜、クラフトビールのバーに行きマスターの方に「この辺も服屋が沢山在ったんですが、、、パーマネントモダンという49年続いた名店のセレクトショップが去年閉店したんですよ。彼が熊本にポールスミスを引っ張ってきたようなレジェンドでした。」と熊本ファッションの流れに触れました。又、雑貨店の方から「鹿児島はash(アッシュ)ってクラフトフェアがあるでしょ?あれは作家と店舗が各所で展示して、情報を冊子に纏めてみんなが巡るようになってる。それは熊本では絶対できないと思うんですよ、個人店が纏まることがない。」「私が若い頃は自転車で街を走って友達と服を探して休みを潰していましたが、今はそのような若者もいませんし。面白そうな映画も熊本までは来ないからね。」と教えてもらいました。

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熊本で出逢った方々からは、ファッションを含むカルチャーが身近に在って、ひとりひとりの信じている何かが異なり、ひとりひとりの空気感が複雑に絡み合って、街を形成しているように感じました。複雑な世界を複雑なまま生きている感覚。わたしが考えるファッションとは「本人の信じている信仰の現れ」だと考えています。衣服に大切にしている何かがはみ出てくるはずと。反して、わたし自身のファッションについて考える機会にもなりました。sanakaの着想となった原体験として、学生時代に制服の袖を伸ばした話をするんですが、熊本の服屋さんからは「それなら制服を作った方がいいよ」と言いました。確かにその方がファッションとしては正しいのですが、わたしの信じられそうな部分を深めていったら家庭の中に在ったキモノの姿でした。概念になるまで削ぎ落とすから、原型を止めていることは少なく伝わりにくいけれど、わたしの信仰は現れていると思います。

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