エッセイ「other clothes(あれ以外の衣服)」vol.5
わたしの祖母が亡くなって、もうじき一年が経ち、初盆がやってきます。これまでとはちがう夏の気配を感じながら、ふと〝そういえば親族が集まるのはいつなんだろう?〟と気になって、叔母に連絡をしました。すると「ちょうど明日10時から、せがきえがある。帰ってこれる?」と返信があり、せがきえを知らないわたしは「わかった。ひとまず、明日お寺に行くね」と答え、急遽地元のお寺に行くことにしました。地元まで車で2時間半の移動時間。わたしの距離感は既にバグっているから、九州圏内であれば即日何処へでも行きます。
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明朝7時、出発。どんどん強まっていく日差しを浴び、青青とする海岸線を望む緑道を走って向かいます。程なくしてお寺に到着すると、見慣れない警備員さんが立っていました。「満車だから旭小学校に停めて」とそっけなく言われ「ごめんなさい。鹿児島から来てて場所が分か、、、、」と言っている途中、反対から車両が来て、咄嗟に警備員さんはその車両に声をかけます。瞬間湯沸かし器のように口論をした警備員さんは、車両が過ぎ去ったあと「そのくらい自分で調べろよコラ!」と言い放ち「で、なんでしたっけ?」と言われ「あ、大丈夫です!」とわたしは姿を消すようにそそくさと去り、小学校を発見しました。時刻は9時55分、叔母は現れない。動揺する間もなく事前情報のないイベント〈せがきえ〉に1人で行くことになりました。
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日傘を差した白ブラウスと黒いズボンのお婆ちゃん、正装した褐色のお爺ちゃん、黒のスポーツウエアのおじさん、、、ひとりひとりが歩みを進め、お寺に入っていくのが窺えました。わたしも後を追うように、幼い頃から何度か祖母と来たことのある天台宗蓬莱山善生寺に着きました。受付を済ませ、お布施をして本堂に入ると、ご本尊の前に内陣が在り、内陣をコの字で囲むように100名程の方が座っていました。参拝者の比率は、70代以上の方々が殆ど。20代から40代が抜け落ちているような具合。わたしと同じ年くらいの人は、ひとりだけ。(此処のみんなが居なくなったら、どうなるのだろう?)
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わたしは、祖母が推していたミュージシャンのライブにチケット代を払い、参加しているような気分でした。「この度は、大施餓鬼会(おせがきえ)へのご参加感謝致します。」とご住職の案内が始まり、施餓鬼会(せがきえ)の説明が入ります。施餓鬼会とは、生前の欲深さや悪事などが餓鬼となって現れ、餓鬼たちを供養するような会であると知りました。〝祖母の餓鬼たちが此処にいるのか〟〝昔、どんな欲があったのだろうか〟と朧気にあたまに浮かべながら話を聞いていました。
婦人会の方々による和讃が三曲唄われ、金色の帯地でつくられたような帽子を被り、御七条袈裟という鳳凰が描かれた贅沢な袈裟を纏うご住職のご祈祷が始まります。すべて聴いたことがない唄や呪文。悟りの境地に達したのであろう低く振動するご住職の声が本堂を包み込みます。圧倒的な知らない世界を感じながら子どもの頃のような気分になり、わたしはご住職の衣服を眺めていました。
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そもそもご住職の衣服は、仏教がインドから日本に伝来した道を示しているといいます。袈裟はインド、道服は中国、下に着る着物は日本と。お経を唱えるご住職の袈裟は煌びやかで厳かで、帽子は視野をシャットダウンするように顔を覆うつくりをしています。なんで煌びやかで厳かな袈裟を着るのか、わたしの考えでは、冬山にダウンが必要なように餓鬼や多くの人の念から身を守る為の衣服なのではないのだろうかと考えていました。
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ご住職は、あの世とこの世を結ぶ役割だとして、前提にあの世を信じていなければ成り立ちません。みなさんは、あの世が在ると思いますか?
わたしは、これを考えるとき「共通の敵をつくる」話を思い出します。たとえば、敵対しているアメリカと中国が、宇宙から侵略する宇宙人がやってきたらば、敵対している暇がないから協力して外の敵と立ち向かうみたいな話を。この世しかないって視野を狭くするから争うのだと。
あの世が敵だって話ではなくてね。あの世は、宇宙のような目の前に無いけど在る世界として扱うと、大切な人がいなくなった悲しみが大いなるあの世(無い世界)に想いが転じて、生きる力が少しづつ湧いて、生きてる者同士が助け合うシステムのような説法なんじゃないかってわたしは思うのです。
熟練されたお経や声、様式美が漂う空間、みんなの拝む姿、位が高い者しか被れない金色の帽子が相まって、無い世界を有にしている、そう感じていました。祖父が亡くなって、数十年。祖母は毎年、施餓鬼会に参列していたのだろう。この宗教を信じる信じないに関わらず、祖母の推してきた神を祖母の代わりに推すことで祖母が報われるのなら、それでいい気がしています。
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