エッセイ[other clothes(あれ以外の衣服)]vol.4
UFOと疑うほどの大きな流星をみた今夜。
わたしが住む集落は標高200mに位置し、近くに在る霧島神宮は6世紀に建立されたのち霧島連山の噴火の度に再興を繰り返して、一時的に南下して仮宮を建てられた頃にできたこの集落を待世(まっせ)と呼びます。霧島神宮を目当てに全国各地、海外から観光客がやってきます。小さな集落とはいえ小さな駅があり、加えて郵便局や市役所の支店、スーパー、最近ではコンビニができて生活に困ることはありません。夜になれば、人工的な音の無い世界にコンビニだけが異様に光る集落に様変わりする中、わたしはジョギングをしています。街灯と街灯のあいだ、約50m。それもすぐに途切れ、まっくら闇が導くように眼は星を追う。なんら虫と変わらない、常に光を求めているのかも。あれは、天の川?いや、誰からも教わっていないのだから自信はない。だけれど、無数の小さな光が束のように布のように川のように連なっている姿を古代の人だってそう名付けるだろう。人工的な光が無い空間を駆け抜けるのが愉しい。
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先日、CALICO(キャリコ)“Travel Report”と云う、インドの手仕事を現地で見続け、共に衣服を仕立てているCALICOの小林史恵氏のトークイベントに参加してきました。話を聞けば聞くほど、インドと一言で語ることはできないほど複雑な背景をもつ国です。イスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教、仏教など多様な宗教が共存し、教えを象徴する形が室内装飾や衣服の文様に影響を与えてきました。わたしたちの生活の中にもインドからの影響が垣間見れるものが多くあるそうで、ペルシャ絨毯やペイズリー柄、着物の文様も元を辿ればインドに辿り着くものがある、とか。詳しい内容は、直接聞かれた方が絶対良いので此処では触れません。
わたしは、日本とインドの相違点を淡く眺めながら話を聞いていました。日本も八百万の神を信仰する、多神教の国だったはず。本来であれば街々はもっとバラバラだったはず。あたまに疑問符が立つのは、全国各地に同じコンビニができて、大手回転寿司チェーンやファストフード店が立ち並ぶ、同じ風景ばかり。時代は便利過多の世界に移行しているだけかもしれませんが、大衆の意向はなのか、大企業の企てなのか本当の所は私には分かりません。ただ確かに安くて沢山売り買いできるって、ある種の信仰なのかもしれません。
地域にもよると思いますが、今でもインドは停電がしょっちゅう起こり、蝋燭を日常的に使われていると聞きました。生活者として電気が足りないことが当たり前だとすると、そのときどう過ごすかさえ心得ていれば、仕方ないかと思う程度に収まるものとわたしは思います。わたしの家も開きにくい扉をずっとそのままにして生活していますが、あれっていつやればいいんでしょうね。なんかレベルが違う気もしますが、そんなインフラだからこそ手仕事を残すことが重要だとわたしは感じます。
しかし、インドでもコロナ以降、織りの機械化が進んだり、中国産のレーヨン混じりのシルクが入ってきたり、インドの伝統的な手仕事を残そうという動きは、インドの美術館か海外の変わり者ばかりだそうで。「白米が無いとなれば全国的な話題になりますが、本物の白い布が無くなっても話題にはなりません。だからこそ本物の布を残し続けなければいけない」とトークイベントは締めくくられました。
学者のような佇まいの小林史恵氏は、インドの職人たちと対話を重ねながら布を生み、衣服にしてインドの哲学のような在り様を教えてくれます。衣服のタグには産地や職人の名前が書かれていて、改めて素晴らしい活動だと感じます。
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日本でもシルクの問題や技術者・継承者不足、染織文化を次の時代に繋げていくことを考えれば多くの課題がありますが、わたしは課題ベースでひとつひとつをクリアしていく手段は、不精な人間なのでどうも協力できそうにないです。ただし結果的にクリアしていたみたいな逃げ道的な手段を考えるのは得意です。日本の文化を独自の手法で残そうとする日本人の変わり者からのレポートは以上となります。きょうも電気要らずの足踏みミシンを踏んで、夜はまっくら闇の中を走り、天の川(仮称)の真下に位置する家で愉しい生活を送ります。
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