エッセイ「other clothes(あれ以外の衣服)」vol.7
音楽家、東郷清丸氏の存在を知ったのは、わたしの連れ合いである友佳子から楽曲「サマータイム」を教えてもらったのがきっかけでした。当時、ツイッターをフォローしてしばらくすると彼が“鹿児島でライブをしたい”といった内容の投稿があり、咄嗟にじぶんではありえない行動を取った。「ぜひ、やらせてください」と。すると、彼からDMを受信。そこにはメッセージと共に1つの画像が添付されていました。その画像は、彼が書いたエッセイでした。端的にいえば「キモノは反物できていて、とても合理的な衣服。ライブの合間にズボンを手縫いしている」とあり、わたしは驚きました。キモノに対して構造への魅力を語る人間と初めて出逢ったからです。又、彼が「生活」を手に入れようとしている態度を理解できたような気がしました。彼からしても彼自身の考えを実際に運用しているわたしたちの存在に驚いたのかもしれません。それから福岡での彼のライブを観て、小さな交流が始まりました。
時が経ち、やっと彼を迎えて天草と宮崎でのライブを企画をすることができました。此処でライブの話は割愛しますが、天草でのライブが終わり、宮崎のライブが始まるまでのしばらくの間、彼はわたしの家に泊まって過ごしていました。朝、気持ちの良いギターの音色が流れてきたと思ったら、家に在ったガットギターとカセットプレイヤーでカセットテープの作品を制作していたり、匚の楽譜を書いていたり、家の一室が途端に彼の仕事場になっていました。ライブもそうですが、彼は場を掌握する力がつよい。
そして、彼が持ってきていた反物を数枚で、彼の身体に合った服を彼がつくる時間がいつの間にか始まりました。ズボンの作り方はもうインストール済みの様子で、上から羽織る服の理想的な形をどう実現するか考えていたようでした。わたしが宮崎の会場づくりに行って帰ってきた頃には、友佳子とふたりで反物から形にする、服のレシピを完成させていました。それは、法被とsanakaのあいだのような衣服です。(これは余談ですが、彼女は誰にでも服の作り方を教えられるわけではなく、東郷さんに理想的なイメージがあって、服づくりを手に入れる意欲があったから作用したのだろうと、わたしからするとめずらしい現象が起こったと思っています。)宮崎のライブが終わっても、もう一着つくっていたんじゃないかと記憶します。以降、そのときにつくっていた服を衣装としてステージに立つ姿を観るたびに少し懐かしい感覚になります。ステージ衣装って、どこか戦闘着の印象がありましたが、彼の場合、ご住職が儀式のときに着る袈裟のような、からだの内側から振動する音が響き、日々錬磨された自然体からくる美しさを感じます。それに衣服が機能してるようだった。
先日、男木島公演に向かって練習や作業をしている1コマがインスタグラムのストーリーに写り、ミシンを踏んでいる様子で“お、新作だ!”と思って軽はずみで、彼のラジオ《生活紀行》に「新作の衣装、気になります」と便りを送りました。するとラジオで読まれ、思い掛けずsanakaを紹介させてしまい、結果的になんだか恥ずかしいことになって、此処で自戒を込めてお詫びしたい。彼がレシピを用いて再現するその衣服をみてつくづく思うのは、わたしがやっている為事(しごと)は代行業なのだ。キモノを解体し、何か別のものに変えるのは本来は各家庭に在った手仕事であって、誰もやらなくなったからやっているのだと。彼のように衣服をつくるを手に入れたい人が増えて、わたしの為事がなくなったらそれは本望で、それでもきっとわたしは更に衣服について考えてしまうだろう。じぶんの身体に合う服をじぶんでつくるといった生活を手に入れていく人生も愉快で、わたしたちが誰かに機能するわたしたちの人生も同様に愉快。生活は、いくらでも失敗可能な実験室だ。
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