六十一部「人はなぜ生きているのか」

パンを食べ、バラを愛でる2026
sanaka/佐藤好縈 2026.01.03
誰でも

2025年12月上旬、天草での設営を終えての一幕。オーナーのひとりである森本千佳氏から「人はなぜ生きているのか」と云う質問をみんなに聞いているといい、尋ねられたわたしは直感的に「死なないから生きている」と答えました。我ながら、動物的で味気のない答えになんともいえない恥ずかしさが湧き、その理由をわたしの中で探し始め、おおよその検討がつきました。高校生の頃、支払いが滞って電気が止まり、学校で携帯電話の充電をこっそりと済ませ、銭湯から帰って即寝。食事は安売りを買い込んでいたので、なんとか生き抜いたときでさえ当時のわたしは死にたいと思いもしませんでした。このままずっとこの状態が続いたらどうなるんだろうと不安の中、HELPの出し方も分からないからただ我慢する耐性ができてしまいましたが、瀕死状態でも人は死なないことをわたしは知っています。多分、この原体験が作用しています。そのあと、同じ質問を受けたsanakaのもうひとりである友佳子氏が「美しいものをみるため」と答えました。わたしとの前提の違いに動揺しました。彼女は、「人はパンを食べなければ生きていけない。しかしパンだけで生きるべきでもない。わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾らなければない」と國分功一郎氏の著書「暇と退屈の倫理学」の一部引用して、一方で自死を美しく感じてしまう畏れも伝えていました。わたしは、困窮生活の中で美しさは感知せずに生きてきたのか?いや、さすがに動物由来でも朝焼けの美しさなどは知っています。でも、わたしの中心にそれを据え置き、ピントを合わせられる土壌がなかったことを思い知りました。つまり、美しさを味わる余白が日常に在るかどうかが人の幸福に通底しているのだと痛感した訳です。更に加えれば、地方か都かの生活の軸を何処に据えているのかで、美しさを生み出す条件が異なり、それによって立ち上がる文化に影響が及んでいることに気が付きました。12月下旬、宮崎の根々での展示を終えての一幕。寒波が沈み込んだ山の中に在る陶芸家山本勘弥氏の登り窯に火を焚べに人達、画家山本かなこ氏の油絵教室に集う人達が風景を生み続けて、その反復から風土というちょうど良い規模の文化を味わいました。

2026年、生活に美しさを中心に据えながら、衣服を取り扱って巻き起こる現象について再度みつめて、空間や展示に取り組み、気持ちの良い反復をしていきます。とはいえ動物的なわたしのことですからどうせ横道に逸れるし人間の真似事しても仕方ないので、相変わらず直感で生きていく所存。おいしいパンを食べ、うつくしいバラも愛でる2026年とします。あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

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