六十三部「抹茶」
わたしにとって、車を用いて片道四時間は許容範囲である。それは九州圏内であれば、その日の内に何処へでも移動可能を意味する。各地に向かう五年間の月日を経て、その認識を保っているのは一般的ではないのは承知した上だが、風景が流れ続けるさまを四時間みているのは苦痛ではない。いくつも理由はあるけれど、マラソン選手のように足の痛みに耐えうる筋力や体力がついた同じ感覚なのかもしれない。
わたしは、福岡に贔屓にしている喫茶室がある。六本松と呼ばれる区画、路地を入ってすぐに特徴的な扉があり、ほそながい白の立て板に「月白」と書かれている。最大五名の立ち席のカウンターと、中庭に座り席がいくつか。その横に小さな書店も備えており、時折展示室に姿を変える。二〇二四年九月sanakaも展示させて頂いた。九月は、月白にとって転機であった。それまで珈琲やチャイなどもある場所だったが全てをやめて、抹茶の提供のみとした。グーグルマップからも一時姿を消した。店主平塚氏にとって美しいと感ずる方向に舵を切ったのだと思う。定休日は毎週金曜から木曜に変更し、年末年始や大型連休も関係なく基本的に定休日にしか休まない。リズムキープしてくれていることにわたしは信頼を寄せる。(リズムキープしてくれている多くのお店に対して同様に感謝を感じる)月白の空間、平塚氏との話、沈黙も居心地いい。抹茶を点てるという動作は、表千家や裏千家などの道とは関係なく自らの道を歩んでいる感覚があっていい。
わたしの中で抹茶を点てるという行為に対しての見直しが不思議と行われたのか、生活に取り入れたいと思うようになった。でも、それも二〇二四年の話。決行は、二〇二六年一月である。これは、先延ばしではない。本当に望む機会であれば、自ずと眼前にやってくるものだと信じてきた。二〇二五年の終わり、宮崎の登り窯で作られた抹茶碗がやってきて、翌月には鹿児島県南さつま市のお世話になっている茶道家の菊子さんと再会して、茶杓と茶筅立てを頂き、その他は用意して環境は整った。
菊子さんをみていると、わたしにとって茶道とは、抹茶を頂く以前にどんな設えでどんな空間で誰を迎えるかに最大の配慮と敬愛を向けて、茶の味に触れるその一瞬にスポットを当てて、茶を飲む人は究極の非日常を味わい、静寂な贅沢を感じる行為なのではないか?と思う。それは互いに十分な経験がなければ感じ合うことのできないコミュニケーションの極地。それが道と呼ばれる世界に感ずる。おそらくそれは着物の世界も同じだろう。
抹茶も、生活の中に取り入れたい。わたしは生活の延長線上に極地がある気がしてならない。これがけもの道だとしても、日々繰り返す動作の中に光があると信じているからだ。もしくは、社会より生活がよっぽど非日常的でたのしいからで、豊かさを更に求めているからなのかもしれない。
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