七十一部「ふつうって尊いね」

監視カメラの付いた個室にて
sanaka/佐藤好縈 2026.08.22
誰でも

手術当日の朝、個室の病室に移動になった。手術の時に着る服は、レンタルで1日187円。その服に着替えて、左手に点滴を打つ。点滴を打ってくれた看護士の方に仕事を聞かれて「服を縫ってます」と答えた。何故か興味を持ってくれて写真が見たいというので、一枚の写真をみせた。すると「わたし、着物をよく着るんですけど」と話し始め「え!この写真をみて着物って分かったんですか?!」「なんか布の感じがそんな感じしたから」と話が弾み、結果的に日本の文化を残して欲しいと途轍もない期待を託された。そんなわたしは、病人スタイルと化していた。長髪は後ろで一括りにしなくてはならず、しかも左右どちらかに寄せた団子にしないと頭を手術台のまくらに乗せられないとのこと。左手が塞がっていた所にちょうど友佳子が来てくれたので、髪を括ってもらった。

13:30、左手で点滴を押しながら手術室に向かう。担当の看護士さんから「緊張しますか?」と聞かれ「まあ、、そうですね」と何も考えず素っ気なく答えてしまった。その場を埋める為の言葉だったと思うのだけど、じぶんが緊張しているかどうか客観的に感じ取る余裕はなかった。手術室はドラマや映画のセットのようだった。使用済みの手袋やエプロンのゴミ袋がパンパンになったものが沢山目に入って散らかってみえた。安心安全にはゴミが出る。手術台に靴を脱いで寝ころんで、吸盤を身体のあちこちに付けて、酸素計を指先に取り付けた。酸素マスクをつけられて「ここから麻酔のガスがでますので、すぐ眠りますよ」と3回深呼吸をすると、ストッ!と意識が途切れた。パソコンの電源が急に落ちるみたいに。

15:00、朧気に身体に感覚が戻ってきたと同時に手術箇所の痛みがじわじわとこみ上げてくる。友佳子が声を掛けてくれるが痛みで集中できない。そのときに撮ってくれたであろう写真がスマートフォンにあるのにその記憶がない。きっと大丈夫と示したかったのだろう、ピースサインをしていた。休めるときは休めよと自戒を込めて思う。手術は成功したと教えてもらい、安堵して再び気絶するように寝た。また目が覚めると夕飯の時間。強制的ファスティングからの最初のご飯は、小さいジュース二本だった。甘くて濃くて強烈に感じられた。

翌朝、TOUTEN BOOKSTOREで購入した毎日楽しみにしている本「私が四番目に愛する季節・著者ハンジョンウォン・訳橋本智保」を読んだ。8月1日から31日までの1日づつエッセイや詩、写真などの作品が並ぶ言葉で夏を味わう本。入院中のお守りとして、毎朝みようと決めていた。8月22日は「止む」というタイトルのエッセイで「夏は悲しみのようにひそかに消えるのだ」と本の帯に書かれてある章だった。この入院生活から復活すれば、12月末まで展示が続き、このひとときさえきっと忙しさと身体が動くことに甘えて、再び身体をなおざりにしてしまう気がする。そろそろ変わらなければいけなかった。病院を無意識的に拒み、一番居たくない場所になっていた。たった今、その場所で文章を書いている。

病院に行く勇気をくれた一人の友人は、わたしの退院の日に鹿児島を離れることになった。わたしは彼女と二人きりになると、身体や心の話をした。彼女に病院に行って欲しいと何処かで思っていたから、まずは自分から始めなければいけないと決めることができた。まさか手術するまでになるとは思っていなかったが、徐々に良くしていきたいと今はその感覚を握りしめている。彼女が鹿児島にいる内に連れていきたかったけれど、叶わなかったのは若干残念に感じるが、関係が途絶えるわけではない。わたしはわたしの一歩が意味があると信じていられるのは、誰かの一歩が間接的にわたしに意味を成してきたからだ。sanakaはこれからもっと好転していくのだろう。いつだって本番は常に今で、それが未来の下拵えになる。早く復活したい。ふつうって尊いね。

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