六十九部「百姓」

いつも同じ感情になるから
sanaka/佐藤好縈 2026.07.30
誰でも

わたしは、衣服と設営用の備品を積んだ車で中国地方の山陽道を走っている。大型トラックたちは、右へ左へと高速に動く。まるでテトリスのように四角い箱を制限時間内に運ぶ速度だ。もちろん組み合わさって消えたりはしないが、大型トラックと大型トラックに挟まれて消え入りそうな心細い気持ちになるのはこちらだ。とはいえ、たくましくもなった。大型トラックの波をすいすいと泳げている。かつてのわたしは、大きな車が横を通り過ぎて風で揺れる車に心底ビビりながら走行していたのだから。ある種、今やっていることだけを言えば、郵送業だ。服をつくるのは製造業。展示は作家業。展示の什器をつくるのは大工業。イベント企画を考えるのはディレクター業。チラシをつくるのはデザイン業。客観的にやっている事柄を言語に変えるのは執筆業。来年までのスケジュール管理などは社長業?もしかして、個人事業主って百姓?22歳の頃、成りたかった百個の仕事をする人間になれてるかもしれないとふと思う。

今、熊本が震度7の地震と度重なる余震で甚大な被害を負っている最中で、じわじわと震源が鹿児島の方に下って原発にまで手が伸びてしまうのではないかと不安が拭えぬままハンドルを握った。本来であれば不要不急の移動は避け、(行き先の方向と関係はないとはいえ)救援の道を滞らせる要因にならないよう努めたい。熊本に住む母や友人たちと連絡を取ると、無事な方々もみな静観しながら十年前の経験が頭をかすめつつ、余震の中で生活する様子を伺い知ることができた。何処かで災害が起こるといつも同じ感情になる。いつ当事者となる日を迎えても緊急対応、復旧、復興の順で徐々にしか良くならないことを引き受けて、希望を忘れないようにしたい。たくさんの人と話し合いたいとわたしは思う。そして、思い出した。22歳の頃、東日本大震災を経て、何もできないわたしがいた。生活を手に入れなきゃ、何か出来るようにならなきゃと駆られた。会社の先輩に「ナリワイをつくる」という本を勧められて、百姓の在り方を知ったんだった。今なら少しは力になれるかもしれないし今できることをもっと磨くから、いつか助けて欲しいから助けさせて欲しい。

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