五十八部「選挙後文」
7月7日日曜日、鹿児島知事選挙と東京都知事選挙が同時に行われ、開票結果は、現職のお二人が当選した。わたしの意志がこの国のシステムに反映した経験は一度もない。わたしはずっと民意とは異なる位置に追いやられ、じんわりとした我慢をし続けている。今回も同様であったが、こんなことに慣れてたまるかとも毎度思っている。
わたしは、鹿児島都知事選挙を終えて失敗をした感覚に陥った。男性一名、女性二名の立候補者の方々に第一に敬いが在ると共に、出馬する方々に女性が多いことをぬか喜びしてしまったのだ。それは間違ってて、票の分散を意味した。もっと馬鹿になってでも立候補して男女の割合を同率にしておくべきだったのか。いや、米丸氏、樋乃口氏両者の支持者を足しても塩田氏を越えることはできていなかった。sanakaの展示中、近くで偶然見かけた塩田氏の演説には、たくさんの農家さんたちが集まり、実生活である農業の発展に力添えをくれることに期待を寄せていた。現状はまだアナログの方がつよい。ただわたしは、四年前のマニフェストに掲げられた脱原発が現在は推進もしくは容認する態度に変わっていることを許せずにいる。みな、それを知っていても〝そういうものだろう〟と建前で許せるのかもしれない。
東京都知事選挙の結果が今の日本の現状を綺麗に描いていたように感じた。裏金問題や学歴詐称疑惑で裏切りに近い行為があっても支持者は裏切らなかった。石丸氏や安野氏、暇空氏のインターネットからの支持者が脅威な力を付けていることが分かった。野党筆頭の蓮舫氏が三位で止まったことは意味深い。田母神氏、内海氏の支持者も十倍にならなければ、民意になることが困難であることも分かった。十年後、インターネット運用がうまい人がトップに立つ未来は訪れる。その和にさえわたしは馴染めない。
学校教室の縮図みたいでうんざりする。運動部やヤンキーでワーキャーと発言しまくる人たちもいれば、インテリで根回しをして都合良く進める人たちもいれば、インキャでインターネットで覇権をもつ人たちもいれば、和に外れて意見が投影されずに沈黙する人たちもいる。もっといえば、学校そのものに影響力をもちたい人たちがいる。
わたしは大衆に混ざれば、間違う。間違っているわたしは独立国家のような独自のルールをもった活動・研究を行う。行いながら、未来を生きているわたしのような少数の人たちに必要となりそうなシステムを残そうと思っている。それが最中。最早、小さな政治活動とさえ思ってる。
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