五十四部「働く」
福谷さんの訃報を知ったのは、14時半頃。フェリー乗り場で受付を済ませて、車に戻ってiPadを開いたときだった。エンジンの掛かっていない車の中、雨音が外の世界と切り離すようにぽつねんとひとりになった。「静かに受け取ります」と伝えて、coffee5の豪さんや鮎美さん達にお葬式を託した。
福谷さんは、農作業で使っているキャップにcoffee5の缶バッチを付けてやってくる粋なお爺ちゃんだった。屈託のない笑顔が本当に愛おしくも勇ましくもあって会うのを楽しみにしていて、福谷さんからもそれを感じてた。会う度に「鹿児島から来たんか。みんなよう似合っとる。がんばれよ」と云い、毎回美味しいみかんを段ボール一個分一杯にしてくれた。わたしたちも面白がって「これ、着てくださいよ」と言って試着してもらって写真を撮った。「モデル料もらわなあかんな」とか冗談を言いながら、やり取りを楽しんでいた。
たった今フェリーの中、陸から切り離されて、海の上。もっとひとりになった。この寂しさは久し振りにやってきた。あのみかんはもう食べられないのだろうか。もっと何か、もっと何かって思考に傾きかけたのを遮って、昨日みた映画「ドライブ・マイ・カー」のラストシーン戯曲「ワーニャ伯父さん」の演技を思い出す。
「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも、働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。伯父さん、あたし信じているの、強く、心の底から信じているの……。」
誰かのために働く。ただただ淡々と働く。時折姿を現して、わたしたちに声をかけてくれる。それはとんでもなく格好の良いことだと福谷さんから受け取りました。ご冥福をお祈りします。本当にありがとうございました。わたしも同い年くらいのお爺ちゃんになってあの世であのやり取りをするのをたのしみに、日々働きたいと思います。
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