五十七部「下準備がたのしい」

わたしの人生周期は、残り三周。
sanaka/佐藤好縈 2024.06.24
誰でも

なんか、におう。なんか、あたらしい流れのにおいだ。過去、経験したことのないことが始める流れを感じる。ややこしいのだけど〝過去、経験したことのないことが始める流れ〟は、何度も経験している。わたしは、転校を何度も繰り返してきたから、あたらしい環境であたらしい事柄が始まったとしても、変化する部分と変化しない部分が現れることをよく知っている。絶対、このにおい。

変化しない部分がモクモクと現れると、それは概ね自分自身が原因で発生している現象だと思い知らされる。その度〝また繰り返しちゃってるなーなんでかなー〟と分かりながら、どうも操作が不能な乗り物に乗ってる感触になる。操縦席の前に無数に並ぶスイッチに「使用注意」と大きなシールを貼る。それなのに無意識にぼけーっとしてると黄色のシールさえ目に入らなくなるのだ。でも、苦手意識を常に持っていても仕方がない。毎回少しづつ挑戦方法を変えながらちょうどいい正解が出すことを狙い、じぶんの癖を理解してボタンを押し続けるしかない。ほぼ、ギャンブル。

変化する部分がモクモクと現れると、その先は誰も予測できない。その後本人もどうなるのか分からないのだから不安に陥れば、これまでの経験測のモノサシを探し出して対処することで、環境変化を低速にすることは可能。でも、モノサシを取り替えて大きく変化させるのも可能。変化するってことは、安定も存在する。事柄に対して、受動的か能動的かで安定期に入ったとき、どの位置に在るかが概ね定まる。サーフィンしないけど、良い波が来たら臆さず、腹に力を入れてバランスとってタイミングを合わせて気持ち良く乗りたいと思っている。これまた、ギャンブル。

ギャンブルしないけど、人生は運だとよく感じる。変化しにくい事象、意識・感情・思考・身体性などを上手に操作できるようになるのが、人生ゲームクリアの糸口なことは分かる。ただ変化する事象にどう対応するかを「運」の一言で済ませると無責任な感覚もある。だから、胡散臭さ満載で説明に試みたい。「運」の攻略法、そしてわたしは成功者になった2024てのは冗談で、重ね重ねになるが〝良い波が来たら臆さず、腹に力を入れてバランスとって、タイミングを合わせて気持ち良く乗る〟の一連動作が運の正体と睨んでいる。

「運」は、現象。基本的は、下準備。板を準備して、波に乗って動いている時間を「運」と捉えている。良かった・悪かったのジャッジは終わったあとにしか観測できないから運の存在を知るには、何でも試みて体感しないと分からない、それを此処数年で掴んできた。

とにかく「板」は軽くて頑丈な板がいい。「板」はつくるもしくは譲り受けるもしくは誰かのにいっしょに乗る他なく、そこに人生ゲームの初期設定に差はあっても優劣はない。社会は海そのものだから、まず板がないと乗りようがない。わたしにとっては、家族そのもの、sanakaそのもの。他者に何を「板」にするかは本当に自由。だけれど「板」はどんな社会であるかどんな波であるかの影響をかなり受ける。故に政治を観測する。

今、わたしはあたらしい変化に対して、あたらしい「板」の絶賛準備中。これまでふたり乗りだった板を十五年かけて十人乗りにしようと考えている。そして更に十五年かけてふたり乗りに戻し、身体性・関係性ベースで徐々に役目を終えてようと試算している。

というのも、あたらしい板をつくるに当たって、今持ってる認識を改めようと試みた。仮に人生を十五年周期で観測したとき、わたしの人生は残り三回の周期と捉え直すことができる。現在三十五歳だから、十五年間各地に巡るとしたら五十歳を迎える。残り十五年で徐々に規模小さくして、六十五歳で現在の状態に戻る。体力の限界が訪れるのは分かっているのだから、今は可能な限り操作できる範囲でsanakaを大きく育ててみようと思い始めた。勿論、無条件に人を増やすって訳ではない。常に同じ人でなく、あらゆるライフステージでちょうど今ってタイミングの人が季節農業的に関わり合って、いっしょに生きられるくらいの出力できるくらいの環境をつくることができる状態に徐々に移行したい。そのための下準備を始めた。でも、この下準備を裏切るような結果がみたい。

だから、下準備がたのしい。

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