五十三部「声にならない」
朝、ご飯を食べ終えて、しごとの支度を始めていたときのこと。クローゼットに入っていた連れ合い(以下、ユ)が〝戦争やめてくれんかなーーー〟と大きな声を出した。誰かに訴える訳でもわたし(以下、コ)に伝える為でもないため息のような声がした。どうしたの?と尋ねると、此処数日、AI生成した画像がSNS上でムーブメントになっていることも含めて、彼女の中で混沌とした何かが疼いている様子だった。
ユ)「私はさ、今しあわせでないといけないと思うし、虐殺している動画をみて奮い立つ側ではないから、悲しいというか私が攻撃された状態になるのね。みると更に弱くなっていって、それが糧にできない。そういう状態になることを既にしているから、次の行動なんだけど。メールでも手紙でも政府に直接働きかける動きがあるじゃない?一個の数字として、その手紙を見た人がどう思うとかの希望をもっていなくて。いっぱい希望をもっていなくて。なんか在るはずだとも思っているんだけど。だから、それはもしかしたら絵とかの表現かな?とかも考える。でも、わたしみたいな人に届いちゃうのも嫌だし」
コ)「わたしみたいな人に届くの駄目なの?」
ユ)「行動することこそって云う正義になっちゃう」
コ)「行動していない人にも届いてほしい?」
ユ)「届いてほしいのかな、、。本当に、、、社会は、、かわる、、かわる、かわるかな、、、、かわらなきゃいけないんだけどね、、、、」
コ)「少なくともsanakaって現象はさ、これまでは無くて今は在るって思ってくれている人がいてさ。〝かわる〟をいっしょに体験してるじゃない?かぞくという関係性とかを見直す、モノを介して暗喩として戦争とか政治とかのメッセージを込めていててさ。こども食堂のはなしになっちゃうけれど、本当に救済を求めている子どもは行きづらくて、何故か“なんかこのひとだったら話きいてくれるかな”みたい人に話しちゃうんだけど、だから、ヒラいておくみたいなことが救済活動だったりもするから。ただヒラいておくってことが大事なんだと思ってるよ」
ユ)「そうだねえ」
コ)「ユカコらしくヒラくだけでいいと思う。絵、いいんじゃない?そのエネルギーが湧いたときに描けばいいし、常に描こうって思わなくてもいいし」
ユ)「そうねえ。きのうのさ、星野原さんのラジオさ。あれも戦争の話だと思ったんだよね。ひとごろしの話っていうか、、。」
コ)「SNSがひとをころすよって話?」
ユ)「そう、憎悪を向けられたって感じたって星野さんは言葉にしてくれたけどさ。言葉にできない人たちを思って、たぶん。あの発表は誰かを思っての行動だと思うし、安心を渡したいってことでもあるんだろうけど。わたしは、コトが収拾し始めたときに知って、もし星野さんを好きなひとたちは〝もし星野さんがこういう人だったら、、どうだろう、、〟とかファンの方たちは沢山考えただろうしさ」
コ)「火のない所に煙は立たないっていうけど、本人の名前を出していなくても、根拠めいたものを持ち合わせて、みんなの勘違いで発生する事象があるんだよね。
ユカコは、あの、AI生成の画像のムーブメントに参加した方がいいのかなってじぶんと参加することで別の傷つきが起こる事に懸念するじぶんってことかな?」
ユ)「じぶんの行動の納得感にその行為は入っていなくて、、。身近な人たちがしている理由も分かるから、何度かあれ(AI画像)を投稿するかしないか開いたんだけど、、、」
コ)「やらないことが否定ではないもんね」
ユ)「そのムーブメントを起こすくらい切羽詰まってる感覚もあって、そこで生まれた人たちの民族の、、、いなくなってしまう、、、うん、、、日本にもさ、クマソって民族が居たって話があるじゃない。なんかさ、多様性って一緒の動きと違いをくっきりさせる動きと色んな矢印があるんだけど。いつか“日本人っていたんだ”ってことなるかもしれないんだよね、、」
コ)「そうなあ、、クマソ民族のことでいうと、つよい力に対して四方向の力が働くことが分かって。つよい力に従って協力的な働き、つよい力に従って控えめな働き、つよい力に抗って九州に居続けた動き、つよい力に抗って日本を出る働きに分かれていったんだよね。もしじぶんではどうしようもないほどの何かに対しての反応は、実際にそうなるんだと思うんだよね。」
ユ)「なんかさ、エジプトに入国する為に賄賂が暗黙になっているって話があってさ。お金がある人たちは逃げられて、それで寄付的な動きになってるから資本主義の社会だから起きていることだというか。お金が絶対的な価値になっているから起きていると思うし、それから剥がしたいって気持ちがあるんだよね。もちろんその場にいて、お金を払うことで救えるんだったら迷わず払うんだけど、寄付もお金になった瞬間に見えなくなってしまうからさ。直接がいんだけど、本当に分からないことだからさ」
コ)「構造の問題があるよね、、いつもの考え方は学校に置き換えるんだけど。日本からみるガザのことだったら、他府県の学校でヤンキーが暴動起こしてて二極化してるみたいに聞こえてて〝転校してきたらいいのに〟とか〝向こうに行ったら助けられるかもしれない〟とか〝なんで学校側止めないんだ〟って感情が芽生えていると仮定して。
じぶんたちの学校では、学校側や生徒会は動きを示さず、半数は無関心で半数は怒っていて、と捉え直したとき。実際わたしだったらどう動くかを考えるんだけど。結局、構造体の問題と政治に希望がもてないことに行き着くからね。
それで先ず思うのは、市民間で意見や手段の違いで争うのはやめようってこと。戦争を起こすきっかけをつくる人たちとは決別して、選挙って権利を使おうってことね。つよい怒りがあるんだったら、そのエネルギーを使って、身近な人たちと予定を合わせて少数で選挙にいくような動きをしようよって。動かせるのは、自分自身と信頼し合えてる身近なひとだけだよって思うから。
身近な人との結びつきを確かめるためにsanakaやってる部分もあって。ああいう働き(AI画像)も信じてるんだけど、責任が伴わないことは不思議と力が発揮されにくいよね。むしろ、力が分散しちゃう気がするんだ」
ユ)「じぶんの考えを纏めた文章とか書こうかな。ありがとう」
コ)「ありがとう」
今朝、こんな会話をした。正解はない。ただ誰もしんでほしくないと構造体に巻き込まれてほしくないと思っています。投稿しようと開いては消してを繰り返す声にならない声がありますが、ひとりひとりがしあわせであることはどうすれば叶うかマジで考えてます。銃を持ってることが当たり前の世界で何がしあわせか考えたいですが、身近な人を救えるだけの力をつけたい、それしかできません。わたし。
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