六十部「縁あって」

初めての場所はいつも何が起こるか分からなくてうれしい。
sanaka/佐藤好縈 2024.11.14
誰でも

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縁あって、長崎で初めての展示をする機会を頂きました。

当初、《九州全土に住む人たちだけでsanakaの活動は十分やっていけるのではないか?》と拡大思考はないものの小さな展望だけがありました。ただ長崎での縁が少なく、展示しようにもできない状況が数年続きました。レンタルスペースをお借りして徐々に知ってもらおうかと考えつつ、なんとなくそれは違う気がして足踏みしていました。なので、強引に「感性」を信じる作戦を考えつきました。それは、とにかく徹底的に長崎に住む作家さんの作品を検索して、わたしの感性が反応する作品を沢山探しました。「ネットに出ている情報で得られることは、せいぜい2割以下である」と偉大なる海の声をわたしは聞きましたから、藁をもつかむ気概で。そこで見つけたのが陶芸家の竹下梨沙さんでした。テレビ西日本「美の鼓動」の2分半の短い動画でしたが、竹下梨沙さんの作品に触れてみたくなって、この人なら話が通じるかもしれない、、そう感じました。とにかく慎重に手紙を書くようにおそるおそる「作品がみせてもらいたい」旨を伝えましたらば、丁寧なお返事を頂き、お連れ合いの方が営んでいる【人町珈琲】という場所に作品を置いてあると知りました。翌月、さっそく長崎に車で向かいました。

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じんわりと降る大寒の雨の中、路面電車沿いの街並みを眺めて走りながら、駐車場に止めて、長崎市内の街を歩きました。古い建物が立ち並び生活感がありながらちほらと気の利いたデザインの感覚良い小さいお店があったり、突如として神社仏閣が現れて、神社・日本の仏教・中国の仏教・キリスト教などの信仰からあふれる街の空気感がとても新鮮に感じました。(それは「鹿児島は廃仏毀釈を経て文化が断絶された空気が未だに流れている」と偉大なる山の声がしたからかもしれません。)

【人町珈琲】さんにそそくさと入って浅煎り珈琲を頂いたあと、店主の竹下雅哉さんに素性を明かすと話が通っていました。そして、小さな紙に長崎のおすすめの場所を書いて渡してくれました。雅哉さんの柔らかい人柄で、この場所があらゆる人のジャンクションになっている感覚がして、此処に辿り着いたこと自体が本当に運が良かったのだとじわじわと湧いてくるのを感じていました。

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メモ紙の一番上に書かれてあった【古物の豊島】さんにその足で向かいつつ、途中お寺に参拝しながら、雨も弱まってきたとこでお店にちょうど着きました。傘を閉じて、ぬるーっと入ると挨拶をそこそこに店主の豊島さんが「長崎の人じゃないね。どっから来たの?」と不意をつかれました。「あ、人町珈琲の竹下さんから聞いて、、、」と咄嗟に反応しました。

お店の中にもう一方女性の方がいらっしゃって、そのまま二、三時間ほど三人で長話をしました。わたしの素性や経緯、長崎の状況やそれぞれの状況について、沢山のことを話しました。そこで知ったんです、一緒に過ごした女性がメモにも書かれてあったギャラリーを運営する【list:】の松井さんであることを。そしてそこで思い出すんです、以前天草の展示で長崎から来られた方から長崎のおすすめの場所を訪ねたとき【list:】さんの名前を聞いていたのを。

〝ギャラリーの方と出会うなんてことあるの?〟と内心驚きながらもその場では〝長崎で展示がしたい〟とは伝えず、まずはlist:さんの展示や空間を観に触れに行こうと決めました。帰り際、豊島さんに「ただ装ってるだけじゃないって分かってよかったよ」と声をかけてもらえて、不思議とホッとした感触がありました。この数時間が何よりも尊くて価値に感じるけれど、発生させようとすると腐敗してしまう。発酵させるコツは、沈黙。

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翌朝、宿をチェックアウトして、前日に教えてもらった「芳扇堂」と云うどぶろくやあまざけをつくって、おつまみと共に提供する日向夫妻が営むお店に向かいました。元々どぶろくは日本の神事に振る舞われるイメージしかなかったので直接お話を聞いてみようと思い、立派な暖簾をくぐり扉を開けると、そこには(朝から飲んでいる)豊島さんがいました。既に〝鹿児島から来た服をつくってる奴がいる〟と話題に上げてくれていた様子で、どぶろくとキモノと日本文化のものを再解釈する者同士、共有する何かがあるように感じて、すぐに話しが弾みました。(その後、鹿児島に帰ってすぐに店主の日向勇人さんはわたしの家に訪れて、tamaki(羽織)を持ち帰ってくれました。)そして「縁」は、これだけでは止まりません。

後日、豊島さんのお店で開催された「豊島寺のなんまいだ」を観るために再び長崎に足を延ばしました。どかんと大きな仏様の絵や小さな折り紙の仏様、仏様を模した像の作品群たちが整然と並ぶ、良い展示を観させてもらって、わたしは一体の像を選び、届けてもらう約束をしました。その後、ジャンクション人町珈琲さんから「カレー&工芸けやきという場所があって、長崎のレジェンドに会っておくといいよ」と教えてもらって、そこに立ち寄って帰ることにしました。

【けやき】さんに入ると誰も人はおらず、わたしはしばらくお店に置いてあった本に手をかけてペラペラとめくって過ごしていました。すると、地下から上ってくる足音がして、周囲を見渡しました。お店の扉が開き、秀子さんが「あら、いらっしゃい。どうぞ好きなとこに座ってね」と言ってくれて、わたしはメニューを開き、少し迷ってスパイスカレーを注文しました。そのあと、再び地下から上ってくる音がして、女性二名と庄司さんが入って来られて選び抜いた器を机に置きながら談笑をしている様子でした。お店を営んでいる方が庄司さんの器を仕入れにいらっしゃっていることがなんとなく分かりました。

「どちらからいらっしゃったの?」と秀子さんが尋ねてくれて「鹿児島です」と答えると女性のおひとりが「ちょうど今度鹿児島に行くんです」と教えてくれました。その場がじんわりとまとまっていく感触があってしばらくすると彼女たちとお別れをして、わたしは地下室の工芸品を眺めに降りました。そこは、素材も形状も国も超えて膨大な作品が所狭しと並んでいました。ひとつひとつに興奮してしまい、乗る予定のフェリーの時間が迫ってきたので、きょうのところは諦めてまたゆっくり見に来ることを誓って岐路につきました。

後日、鹿児島で友人の展示を観に行くつもりで誤って会場隣のカフェに入店してしまうといった滅多にないミスをしでかし、珈琲一杯頼んで一呼吸おいて過ごそうとしたそのとき、カフェに入ってきたお客さんが先日長崎で出会った「upendo(ウペンド)」というお店を営んでいる中尾愛子さんでした。偶然に偶然が重なって長崎への縁が繋がっていく不思議な体験をしました。

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長崎では、まだsanakaの服をみてもらっていないのに既に知ってくれている方がいて、わたしもまた長崎に知っているひとたちが生活をしている状況に、縁によって生かされていること、わたし自身動かされていることを実感しています。民藝思想を広めた柳宗悦氏が「縁」と「絆」を異なる事柄と解釈していたことにささやかな救いを感じています。本来家畜をつなぎ止める縄を意味する絆にどうも排他的な同調圧力を感じてしまいがちなわたしが絆をつくらず包括する集団とどう付き合うといいのか又わたしたちが集団をなさずどうやって前進させていくのか全く分からずにいましたが、わずかな確信としてどうにか「縁」という現象を信じて大切にしながら止めどなく新陳代謝し続けるイメージで今はいます。縁を固定も流動もさせず、淡く保ちながら交わりを大切にするといった矛盾状態がとっても重要な気がしています。

7月、listの松井さんが鹿児島に来られて、展示先のレトロフトさんとのジャンクションsanakaになれたこともうれしかったです。そして、11月長崎で無事展示を迎えられたことに感謝しております。みなさま、ーどうぞよろしくお願い致します。

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