十一部「relative」

親戚付き合いのように
sanaka/佐藤好縈 2022.05.27
誰でも

ある日、「レラティブ=親類、血縁」と云う言葉に辿り着いた。

親戚付き合いを殆どしたことがなくて、勝手に面倒なものだと思い込んでいた。

家族に対する僕の意見のあらましはこうである。

家族とは、最初に所属する組織。

そこで得た態度が社会に出ても尚、その役割を全うしようとする。学術的な根拠など持ち合わせていないが、環境が及ぼす影響は大きい。

それで云うと僕の所属した組織は壊滅的な状態で、13歳からひとり暮らしが始まった。

血縁者との接続がBluetoothのように途切れ易い環境で育った僕は、人類皆平等の意識が育まれ「特別視」と云う芽は育たず枯れた。(唯一、学生時代に心を支えてくれたゆらゆら帝国の坂本慎太郎氏だけは緊張するかもしれない。)

その訳もあって「特別視」を向けられるのは滅法苦手である。どうしたらよいのか対処が分からない。sanakaを進めるに当たって「ファンを作った方がいい」と言われても方法を知らない。 

誰とだって、対等で在りたい。
誰も自身を下に見積もる必要はないし、相手を下に見積もる必要もない。

sanakaを通じて、関係性を築いていく人たちをお客様ともファンとも思えないのなら、擬似で構わないから親戚のように時々会い、最近の互いの話をして、服のメンテナンスなどしながら末永く付き合いたい。

それをレラティブと呼びたい。

全く連絡取り合わずとも、いざと云うときに助け合える関係がいい。全人類とそうなれるなんてちっとも思ってないんだけど、それがいいんだ。

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