二十八部「いつもの葛藤」
エキゾチックジャパン、二日目。sanakaの展示、過去の傾向として、一年目にバッグ、二年目に衣服、三年目にオーダーと云う大体の流れがあるが、此処はちがう。山陰はなんかちがう。理由はハッキリ分からないけれど、過去の経験を通して一言でいえば、文化度が高い。変わった形の新しい衣服を愉しみ、じぶんなりの解釈ができる方々がたくさんやってきてくれたのだ。
そんな中、十七才の高校生が母親とやってきて、迷うことなく試着をしてくれた。どれもとっても似合っている。更に似合うと思ってofu(コート)を羽織ってもらうとうれしい表情を浮かべていた。その子はキモノの生地が好きで京都にあししげく通っているようで、たみの前を何度か通っていた母が好きそうだからと連れてきてくれたのだ。二人ともひそひそとあれいいねこれいねをしてくれて、四点を選んでくれた。
さーーーーて、困った!ここから、わたしの葛藤が始まる。母からすれば、京都に行く往復などを考えれば「四点でもいいよ」と言うのだ。わたしは一度に三点以上選んでくれた方とは話し合って、場合によっては一点か二点に絞ってもらうことにしている。けれど、十七才の未来に託したい気持ちとの狭間で判断が鈍る。周囲は、なぜ本人が持って帰りたいと言ってるのに渋っているのか不思議そうに見守ってくれていた。
二十一歳の頃、サスティナブルの解釈と出会った。〝百匹の魚が住む池の畔に釣り好きなお爺さんが暮らしていた。毎月、二十匹の魚が生まれ、十匹の魚が死ぬこと、池のことをお爺さんは熟知している。だから、お爺さんは釣りが好きだけれど、毎月十匹以上は釣らないと決めている。〟このはなしがすき。この態度で(お客様とお店の態度ではなく)対等を目指したい。その子とは、結果的に同じ形のものをひとつ減らしてもらった。受け入れてくれてありがたかった。
たった今に慌てなくてもきっと良いとおもってくれてたら、そのとき再び会えるでしょう。また会えなくてもあたらしい良いものが発見していることをお祝いしたい。その子が還暦を迎えたときにわたしは死んでいるかもしれないから、形を変えられる世界になるようにやってくね。
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