四十七部「矛盾」

波と波がぶつかる瞬間
sanaka/佐藤好縈 2024.05.14
誰でも

小学生の頃、深夜まで起きて、NHKの爆笑オンエアバトルを観ていた。すぐ理解できなかったラーメンズも中高生になる時にはハマって食い入るように観ていた。知的な印象の高橋賢太郎氏は物真似をやってる時は親しみ易く笑えたし、野蛮なヘアースタイルをした片桐仁氏の方がキャッチーな印象がありながらもアーティストのような緊張感を感じていた。この対極な見た目のふたりが発生させる「お笑い」という現象が好きになった。

それからあらゆるもの全てが緊張と緩和が原則だと分かった。人間が性的な興奮に至るのさえ安心感と緊張感という対極なものの同時発生していることを知った。矛盾には超えた先は存在するが、永続するものではなくそれは波でしかない。わたしは凪がいい。

ひとひとりの内側には、何人もの人格がある。平野啓一郎氏の「私とは何かー個人から分人へー」と云う書籍を読んで貰えたらいいのだけど、家族といるときのわたし、友達といるときのわたし、恋人といるときのわたし、歯医者にいるときのわたし、市役所の待合のベンチで途方もない空虚に苛まれているわたしも(当然のことだけれど)全てわたしなのだ。家庭訪問で先生が家に訪れたとき、学校のわたしと家のわたしが交ざって変な感覚になったのを思い出す。わたしはわたしの中で矛盾を抱えて存在している。もちろん、あなたもきっと。

わたしは矛盾を善悪で問うことない。凪を望むわたしは、鹿児島だとか日本人だとか着物だとかファッションだとかの具体性より服を着る人の生活様式に目を向けていた抽象度の高い世界観で矛盾も曖昧になった感覚で生きていたい。波は、出会ったときの一瞬でいい。

無料で「sanakaの「そこはかとなき文學」」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら