三十九部「時給500yen」
京都と鹿児島を行き来して働いてた頃だっけか、アレの時期に入って急に身動き取れなって、学生服の採寸や販売の期間アルバイトを始めた。(sanakaもやってた)
鹿児島は、幼稚園から大学まで制服がある地域だから種類は豊富だけれど、制服を販売する企業も少子化の煽りを受けながらどうやって生き残っていくのか気になって、いつもの当事者性が発動してしまい、社員さんに聞き込みをしてた。
〝あの制服の学校に通いたい〟って思ってもらうことが広告なので、私立の学校はすぐモデルチェンジして、ジェンダーに配慮された制服を提供するのも早かった。伝統ある学校は、卒業生やOBからの圧もあってかモデルチェンジがし難いだとか現場の話を聞くのがいつだって楽しい。
そこで出会った同年代の社員さんがいて、よく話すようになった。彼は、実家は大島紬を織る家業で、綿から育てて布にする迄の一環したプロジェクトを始めて彼自身も積極的にやっていたもののいろいろな理由で辞めたのだと教えてもらった。熱意もあって勿体無い気がするのけれど、織物を生産する業界はひとりの熱意で覆るような状態ではない。ただ彼はうる人と云うよりつくる人の顔をしてるから、制服の世界にいても何かを生み出して欲しいと思った。
それから四年経過して、なんとなく彼を思い出した昨夜、インスタグラムで彼の名前を検索したら出てきた。彼は、糸を染織した写真を掲載していた。えええ!っとなって、翌朝連絡すると家業に戻ったことが分かって、すぐ工場に見学に行く約束をした。
彼は電話で「時給で計算したら500円くらいですよね」といい、価値と見合っていない現状を互いに嘆き合った。そもそも価値を時間で割って見做せる筈がないのに、年収で割って時給46億円の価値があるとするビルゲイツでさえどうもきな臭い。
やっぱりどう考えたって、資本主義的な社会は「つくる人」をカースト最下位に据えて、歪を生み出す。熱意とか夢とか綺麗ごとを抜きにして、つくる人の営みが途絶えない社会で在って欲しい。二十三歳で大島紬を織ってたわたしには全く未来がみれなくて、sanakaのような形態になって、布を織る人たちの選択肢になりたいと思うのだけれど、わたしたちだけじゃなくて「布に戻る」がジャンルとなって、いろんな人が面白がってつくらないとつまんないよ、世界。
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