七部「money」
ともだちは、絵を描く。
これまで彼女は、絵を1000円やタダ同然で渡してきた。みんなの喜ぶ笑顔が対価になっていたのかもしれないけれど、心の均衡は複雑だった。
ー
外の印象は、
家族や地域の人たちに知られ過ぎていて、これまでの自分を切り離しがたい。もっと外の社会には自分のような人が光って暮らしているが、遠くのことのように。
内の印象は、
自分の絵は好きだけど、へた。へた=価値が低いと見做しつつ、心の奥では可能性を知っている。
ー
つよく光が当たれば、影もくっきりと現れる。いつからか、その影にすすすと蛸のように引っ込むような癖がついた。それは、小さな部屋にいるような感覚だったかもしれない。
壺?
ぼくは「そこに此処にいたい?」って尋ねた。彼女は横にも縦にも首をふることなく、癖付いた作り笑顔と自分を下げる言葉を置いて、すすすと消えていった。
ー
彼女の絵だけを預かって展示を繰り返した。
絵の受け渡しのとき、話し始めた内容をこっそりボイスメモに残してインタビュー記事を書いた。
そして数ヶ月後、彼女から連絡があった。「ギャラリーからあなたの展示をしたい」と云う話が来たと。更に先日のsanakaの展示中、街に一人では来ない彼女がやってきて「ギャラリーで打ち合わせがあってやってきたの」と。彼女は自らの足で光に出てくるようになってきた。
ー
そのとき、ギャラリーのオーナーがたまたま知り合いだったので、彼女の癖で自身の値を下げてはいけないから「どうぞよろしくお願いします」と伝えた。
すると、「あなたのインタビュー記事が決め手となりました」と仰ってくれた。じわじわと喜びが湧き出てくる。
ー
値うちをつけることは難しい。
じぶんじしんと近ければ近いほどに。
だから、相対的になっていく。
途端に世の中の状況が流れ込んでくる。
1分に70枚の印刷ができるプリンターと1月に1枚の絵を描くことができる画家の1枚の重さはちがうのに、枠に入れば見分けは難しい。
だから、絶対的に向かっていく。
途端に世の中から切り離されるのだけれど、
求めてくれる人は必ずいる。
おのずと相中へと落ち着いていく。
沸騰したスープが器に盛られ、テーブルに並び、さあ食べようとしたときの空間の温度と調和しようとして、スープの温度が丁度良くなっているように。おのずと相中へと落ち着いていく。
この理は、絶対。
ぼくは、原理を信じている。
ー
sanakaは、近い未来に海外に連れていくつもりでいて。もしね、売れなくたっていいからって勢いで今の十倍くらいの価うちで出してみるとして。その値段でも不便なく買える暮らしをしてる層の人たちにぶつかると思うの。
それで一枚でも一着十万円で売れたらさ。
日本に帰ってきてもこれまでの値うちのままだったとしたら「え、やすい!これで大丈夫なの?」
ってなると思う筈なんだけど、、、
一倍の世界と十倍の世界をくっついちゃったら、たいへんなことになる。原理を利用しちゃったら変で、100度のスープと20度の部屋は別にしとかんといかん。
ー
もしもの話だけど、日本で十倍の世界の人たちと出会っていきたいとは思えないんだよなあ、、不思議と。九州の生活環境で渡していける設定で、海外で正当な評価になるように進めていこうと今は思うよ。
どうかな?
せっかちになっちゃうね。
未来がたのしみなんて思えるなんてさ。
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