四十六部「朗読会」
本屋と活版印刷所の屋根裏にて展示中であり、同時開催である朗読会に参加した。元々参加せずに聞く役に徹するもしくは展示用に用意した文章を読もうかと考えていた。でも、せっかく展示に合わせたテーマで「初めて」を設けてくれているのに、主催のふたりに対しても来場する方々にも失礼なのではないかと思った。そんな当日の朝、お風呂に入りながら自分の言葉を読む事にした。以下は、原文そのまま。声が震えてしまったけれど、みんなが聞いてくれていたから読み終えることができた。存在に感謝です。ありがとうございます。
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「おばけ」 さとうこうよう
わたしは朗読が嫌いだ。理由は、教科書の文字を声に出して正確に読む行為ができなくて、意図しない言葉を付け加えたり、取っ払ったりして、周囲から間違いを指摘され、笑われてしまう経験を幾度となく心と身体に与えてしまったからだ。だから国語の時間は、当てられまいと存在感を消して、おばけになる方法を身につけた。空間にできたエアポケットみたいな所をみつけてはズボっと入った。あちらにはこちらがみえていない。こちらはあちらがみえている。
おばけになったまま家に帰った。家には人もいないしテレビもないから言葉もない。父親がもらってきた十万円以上するオーディオと大きなスピーカー二つが木造長屋の六畳一間にあって、ボリュームのメモリは少しだけしか動かすことはできない。不適切な場所に不釣り合いの物の中で、音楽だけがあった。TSUTAYAで借りたゆらゆら帝国の「空洞」がおばけは好きだった。
おばけは社会人になった。社会は「声」を前よりも増してしつこくせがんでくる。わたしは「文字」を納めたり、「物をつくる」という表現をしたりと調和を望んできたが、耳を傾けてくれた実感はなかった。
自動車工場にいたときは、みな一様に耳栓をしていたから、機械音と共にわたしの声はいらなかった。なんならその音に負けない音量で陽気に歌いながら作業をした。その数年後、成人式を迎える数ヶ月前に友達が突然死んだ。火葬場に集まった同級生たちの中で大声で泣いてしまい、わたしの存在が露わになった。
〝わたしはわたしの為に生きなくてはいけない〟その感覚がどんどん強くなって、仕事を辞めた。「服」をつくる時間を増やして、なるべく服のことを知りたくて、洋服の販売員を始めた。〝やべえ〟って思った。わたしはおばけだった。裸同然だった。心の中には言葉があるのに身体は非対応で、ずっと躓いていることを忘れていた。
仕事の帰り道、ブックオフで百円の教科書を買った。それは、東京大学の人文化社会系研究科の心理学の教科書だった。心の動きにばかり、気を巡らせてきたわたしには心理学が興味深く感じた。そして、その本がとんでもなく面白かった。いや、これはただの教科書。わたしが感じていた事柄が心理現象として名前がついていたことに驚いたのだ。それからひとり部屋の中で、音読をしながら教科書を読んだ。声に出して読むと、からだに残っていく感触があった。何度も繰り返して読んでいる内にわたしの身体は朧気に見えるようになってきた。もしかするとこれって、野球をしたことがない野球オタクが河川敷の橋の下でコンクリートの壁に向かってボールを投げている状態に近いんじゃないかって思った。
服の接客しながら対話の実践を重ねると、心の言葉は身体と繋がり、「声」の躓きが減っていくのが分かって嬉しかった。と同時にわたしは「物をつくる」ができなくなって悲しかった。「つくる」という行為が言葉の代役を勝手出てくれていたのを知った。からだの中で「こちらを立てれば、あちらが立たず」が起こっていた。なんだかわたしはわたしに申し訳なく思った。
「無が有になれば、有が無になる」原則を体験をした。だから、何を無にして何を有にしたいか考えた。わたしは「争い(せんそう)を無にして、つくる生活を有にしたい」と思った。そんな都合の良い話は信じれないけれど、無を有にすると有には無になる原則は本物に思えた。
わたしはおばけと決別する為、名前を変えた。親孝行の「孝」に太平洋の「洋」で「たかひろ」という音で生まれてきたのを市役所の住民票登録時にふりがなを変えて「こうよう」の音に変えた。幼稚園の頃からじぶんの名前にずっと違和感があったのが、呪文のようなものが消えた気がした。造作もないことだったけれど、高校までの関連がプツッと途切れた音がした。
釈迦の考えを弟子たちが「無」と理解したとき、「自分なんて無い」ってことが分かった。たとえば自己紹介するとき、「何処で生まれ、誰の家で育ち、何をして働き、何を大事に思っている」と自分の事を伝える為に他者が必要で、他で構成されているのだ。
十年経ってわたしの輪郭は「こうよう」としてハッキリと存在している。sanakaで関わる人たちが名前を呼んでくれるからだ。おばあちゃんだけがわたしを「たか」と呼ぶ。わたしも「たかひろ」に戻る。どちらもわたしだ。
そして今、此処で朗読をしているわたしも朗読が嫌いなおばけも此処にいる。あちらにはこちらがみえていて、こちらもあちらがみえている。 sanakaは、わたしのようなおばけたちが社会と接するとき“ここにいるよ”ってそっと輪郭をつくるための補助輪みたいな衣服で在りたい。そんな意志をもったからって人前で朗読するなんて、初めてのことだ。
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