二十部「地域猫のように」

彼女はしなやかにつよい
sanaka/佐藤好縈 2024.04.04
誰でも

電車に揺られ、四時間。先日、大分県で催した展示に足を運んでくれたあの子。彼女にとっても居心地の良い場所になったことがうれしいし、物理的に会わないだろうって思う人が突然ふわーっと現れると尚更うれしい。

彼女にとって二度目となる個展、出身地開催として初となる展示があり、そのときに使うのであろう「木の板をもっていないか?」と尋ねられた。理想的なものかどうかはわからないが「ある」と答えて、後日にわたしの家に訪ねてもらうことになった。

彼女の絵を描く行為は、生活の中に在って自動書記のように紙の上でペンを走らせる、どちらかというと猫が引っ掻くような儚い線で刻む。だから、美術的な視点で言えばドローイングなのだろうけど、その角度でみるより自然な痕跡として観る方が個人的に面白い。

彼女の絵を描く行為を、生活の中で際立たせた自覚がわたしにはあって、それは二年前に催していた合同展に彼女が偶然来てくれたことに遡る。彼女は高校一年生だった?そのときもふわーっとやってきた。色々尋ねると絵を描いてることが分かり、次の合同展への参加を申し出た。それから数回の合同展?そして、福岡で初個展?今や、高校卒業後はどうするだの話す親戚付き合いのような距離感になった。わたしの家の庭で、板を用意している時間は、夏休みの自由研究を最終日に済ませる兄妹のような光景であった。

人は社会性のある生物だから、多くの人々が生まれながらにして強い力を選択する。子どもの方が顕著で社会的に助けが必要な者ほど、社会的に安心(大人や先生的な存在)を味方につけた方が生存可能なことを知っている。でも、わたしはかねてより強い力の方が信用し難かった。いや、強い力を選択して安心できなかったから異なる方法を考えて今に至るのだろう。

彼女は出会った頃から比べたら心地良い距離感の大人たちに可愛がられていて、かといって流されず自分の意志がしっかりとある地域猫のようでしなやかにつよい。身体に見合わない大量の板を大きな袋で二つ抱えて、リュックにも詰めて電車に揺られて帰っていった。なんともたくましい。生きてるって感じがそこに在るね。

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4/2(火)一4/11(木)日曜定休10:00~17:00

鹿児島市荒田2丁目36-11coffee innovate

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